シサム工房のフェアトレード月間。 今年はシサムのスタッフの思い@フェアトレードのブログを数珠つなぎ! フェアトレードって一言では言い切れない、それぞれの思いを数珠のように繋いでいく企画です。
こんにちは!ブログリレー⑨番手のバトンを受け取りました!京都本店のヒロセです。単なる憧れと理想に近いキモチからスタートした私のフェアトレードに対する思いは、知れば知るほど深く、真剣になっていきました。そんな思いを文字にしてみました。ちょっと長くなってしまいましたが。。。お時間のあるときにごゆっくりご覧下さいね!
私がフェアトレード(以下FTに略)に出会ったのは学生の頃。
高校生のとき、漠然と国際協力に関心を持ち、留学先で目の当たりにしたホームレスの人々(今や日本の社会でもホームレスは問題となっていますが田舎出身の私は生まれて初めて目にする人々だったのです)や社会で孤立した先住民を見るにつれ、”私も困っている人たちの助けになりたい” そんな思いを強く持ち始めていた頃、モノやお金の一方通行にならないFTとの出会いはとても衝撃的でした。
今やFTというと認知度がぐっと高まり、マスコミにも登場し多くの人が知りうる存在ですが、当時はごく一部の人しか知られておらず、「FT?ん?あぁフリートレード(自由貿易)か!」と勘違いされることもしばしばでした。
そんな時代(?)に私にはFTがとても際立ってキラキラしているものに見え、その活動意義に感動し、同時にもっと知りたいという気持ちからFTを活動の一環に取り入れていた国際協力NGOでもボランティアとして主体的に関わるようになり、今に至っています。
・・・とここまで書くと、すごく美しい話のようですが、実際のところ現場で動いているフェアトレードを知るにつれ、人々の「いのち」と「暮らし」が大きく関わる営みであり、貪欲なまで”生きる”ため、職とお金を求める人々の姿は決して美談では済まされないと認識するようになりました。
またFTに関わり続ける私の”理想とする社会は何なのか”を考えるようにもなりました。世界の経済構造の中で貧困を強いられ犠牲になっている国・地域・人々がいる一方で経済が豊かで有利な立場に立っている国、ニッポンとそこに暮らすワタシ。世界の不均衡さを知ってしまったがゆえに、その世界の歪な構造の上に成り立つ私たちのモノに溢れた暮らしを”当たり前の日常”と捉えるとするならば、それは傲慢でしかないと強く感じています。
モノにあふれた私たちの暮らしのほんの一部だけでもフェアトレードの商品を取り込む事で、少なからず他のモノに対する意識の変化があるのではないかと考えていますが、しかしそれは溢れかえったモノを全てFTに置き換えることを目指している訳ではありません。本当に必要なものを必要な分だけ消費し、またできるだけ地産地消することでエネルギーをも無駄に使わない。必要なものを入手するときは作り手の顔が見えたり人柄を感じられるもので、その後長く大切に愛着を持って使ってもらえるものをお客様に提案したい—。
そんな思いを持ちながら今日も京都本店のお店に立ち続けています。
京都本店 ヒロセ
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