フェアトレード的未来観
環境雑誌PICO別冊「エコビジョン 21世紀への提言」掲載文を一部改訂

2005年12月25日 シサム工房 人見友子 

だからフェアトレードはおもしろい
私の仕事は、輸入販売。京都と大阪に店を構え、いわゆるエスニックインテリア品などを売っている。でも、この店は、少し普通と違うと思っている。その鍵は、私たちがフェアトレードにこだわっているところにある。

私とフェアトレードとの出会いは、8年前。今、それはライフワークとして私の中に位置付けられている。フェアトレードとは、簡単に言うと「貿易を通した国際協力。」90年代から日本でも盛り上がりを見せている。フェアトレードの発想は、「途上国の人はかわいそうだから、寄付しよう。」ではなく、彼ら彼女らが、汗をかいて作ったものに当然の対価をきちんと払う。Trade not Aid. 「寄付でなく、貿易を!」 なのである。彼らが欲しいのは、上から振ってくる寄付金ではなく、継続的な仕事であり、職人、労働者としての誇りだと思う。「自分の運命を自分の手で変えてやろう!」ぐらいの前向きなパワーを持っている人が私は好きだ。それから、自分以外の「他人」のことを真剣に考えられる人に逢うと、素直に感動する。フェアトレードに関わっていると、こうした人との出逢いがたくさんある。フェアトレードに関わる醍醐味はここにあると思う。

ちなみに、わが店の名は「シサム工房」。シサムとは、アイヌ語で「良き隣人」という意味。多様な文化を持つ人々と、共に生きるシサムとして付き合いたい。そんなフェアトレード的精神を込めてみた。そして、そんなシサムがどんどん増えることを望んでいる。

ものが溢れる、この世の中で、一生活者として何を選択するのか。自分を取り囲むものとして、これから何を選択していくのか。
「自分が使って、食べて、心地よいもの、体によいもの。」 だけが、基準となるのか?
はたまた、自分の消費行動が周りに与える影響にまで、想いをはせられる人になるのか。「地球にやさしい。」「環境に配慮しています。」などは、最近よく目にするキャッチフレーズ。「おっ、だんだん世の中変わってきたぞ。」と感じ、とてもうれしい。でも、フェアトレードにかかわる者から一言添えると、その想いが、地球や生態系への影響だけに留まっていてはもったいない。

そこに、もう一つ、それを作る人の人権。つまり、作り手が、その人らしく生きることを尊重して作られたものなのかどうかまで、判断基準に加えてもらえたら、もっとうれしい。そこで、わたしたちが提案しているのが、「フェアトレード」というわけ。

 21世紀のフェアトレード的キーワード

” Think Globally Act Locally ”
「広い視野と、それを実際の行動に移すこと」

これが、21世紀のキーワードだと思う。そして、その視野を手に入れるには、「知ること」が第一条件。でも、知ってるだけじゃ、始まらない。朝、一杯のコーヒーを飲むにしても、それが、作り手、運び手、売り手に脈々とつながっている。何を飲もうが人の勝手だ、と思っていたような分野だ。

でも、どっこい、今の世の中。何をしようが、何を着ようが、自分の行動が、他に影響しないことの方が少ない。農薬で土地を汚し、働き手を買い叩き、どんぶら、だれかの涙の海を越え、はるばる運ばれてきたコーヒーを飲んでいるのかもしれない。それを、買うことで、間接的にその流れをサポートしている。そして、「買う」。すなわち「お金を出す」ということが、この流れの決定的な原動力となっている。

今の世の中、お金というインセンティブほど強いものはない。だから、私たちは、「買う」という行動に気をつけなくてはいけない。まず、関心を持つことからがスタートだ。一体ぜんたい、自分が今買おうとしているものは、なにものぞやと。一方、フェアトレードのものを買うこと。それは、地球の南側に笑顔の生産者を確実に増やす。そして、それが、「遠い国の知らない人のため」だけじゃなく、全体としてみんなの幸せに繋がっていく。

「地球規模で考えて、自分の毎日の買い物で意思表明する」

フェアトレードは、そんな簡単に参加できる国際協力の方法として、何より手軽だし、何より楽しい!一緒に考えて、一緒にできる事をやっていきませんか?どんな未来にしたいのか。それは人任せでなく、自分たちで作っていくものだから。

 

副代表 人見