
みなさま
このたび、シサム工房のHP「INFO」ページに、
名前は――「ミズノの部屋から」
創業間もない頃から、
そして約5年前からは、毎月ほぼ欠かさず「
今回、その文章をもとに、
毎月社内向けに書かれている文章の中から、
シサム工房が大切にしている「お買いものは投票である」
代表ミズノが社内や日常で考えていること、
有限会社シサム工房
先月、アマゾンプライムで『教皇選挙』という映画を観ました。
その中で、非常に印象に残った言葉があります。
主席枢機卿が、教皇選挙(コンクラーベ)開始にあたって、
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これまで教会に長く仕えてきて、
それは「確信」です。
「確信」は、対話を閉ざし、寛容さを失わせます。
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それは厳格な神学者である首席枢機卿の自責の念からの言葉であり
教皇候補である枢機卿 たちの 派閥や排他的な思想を戒めたものだったと思います。
私はこれまで、「確信」を持つ人にある種、
というのも、周囲の状況に左右されず、自分の「確信」
そのパワーは圧倒的であり、周りを次々に巻き込んでいきます。
ときに周囲は振り回され大変ですが、それでも後から振り返ると「
もちろん逆もあるんでしょうが。
私にとって「確信」は、憧れと畏れの入り混じるものなのです。
ここで関連して考えたのが「断定」という態度です。
「確信」:内的に「絶対に正しい」と信じる状態。
「断定」:確信を外に発する言葉や態度。
私にとって「断定」とは、
リーダーとして迷いや他の選択肢が内にあったとしても、
そうした手段として用いるものでもあり、物事を前に進めるには「
ただし「断定」は、
確信や思い込みからだけの断定になると、対話を阻害し、
社内でも、断定的に言い切ってしまったことで、
断定が「力強さ」ではなく「壁」
頑なな態度を廃し、
私が「確信」に慎重であるもう一つの理由に、「事実」と「真実」
これは学生時代に読んだ、本多勝一さんの『事実とは何か』
この本の中で本多さんは、ジャーナリズムにおける「事実」と「
事実:実際に起きた出来事そのもの。誰にとっても一つしかない。
真実:その事実をどう意味づけ、
たとえば、過去に行われてきた「
それを国家としてお国のために戦った人たちを慰霊するのは当然と
A級戦犯まで合祀されている靖国神社を公式参拝することは、
そうした意味づけがされたものが「真実」となります。
つまり同じ事実に対して多様な「真実」が存在し、自分なりの「
そうした考えを持っている私は、常に「真実は一つではない」
だからこそ、何かを「絶対に正しい」と言い切る「確信」
自己分析すると、私は「確信」
それでも、自分を支える確信=「信念」を軸に、
ミズノ 2025年10月







