6月20日は「世界難民の日」です。

紛争や迫害などにより、故郷を離れざるを得なかった人々に想いを寄せ、難民の保護と支援について、世界で考える日として国連が定めました。
「難民」という言葉を聞くと、どこか遠い国の話のように感じる方もいるかもしれません。
けれど、戦争や迫害、気候変動、貧困、社会の分断などによって、ある日突然、暮らしの土台を失ってしまうことは、決して遠い世界だけの出来事ではありません。
そんな世界難民の日に寄せて、IDEAS FOR GOODさんが、とても考えさせられる記事を公開されています。
「6/20は難民の日。“排除”の風が強まる今、誰もが『ただそこにいて良い』社会へ」
この記事がとても大切だと感じたのは、外国人や難民をめぐる議論を、単純に「受け入れるべき」「受け入れるべきではない」という二項対立で終わらせていないところです。
地域の現場に負担が集まっていること。
日々の暮らしの中で、不安や疲れを抱えている人がいること。
その不安の矛先が、弱い立場に置かれた人へ向かってしまうこと。
そうした複雑な背景を見つめながら、それでもなお、私たちはどんな社会をつくりたいのかを問いかけています。
記事の中で特に心に残ったのが、「Doing」ではなく「Being」が認められる社会、という視点です。
何かができるから価値がある。
役に立つから、ここにいていい。
働けるから、支援される資格がある。
そんな物差しだけで人を見てしまう社会では、いつか私たち自身もまた、「役に立てなくなったら居場所を失うのではないか」という不安の中で生きることになります。
何かをしているからではなく、ただ生きて、そこにいることが認められること。
それは、難民や外国人の方々だけに必要な安心ではなく、子どもも、高齢者も、病気や障がいのある人も、介護や子育てを担う人も、働けない時期にある人も、そしていつか役割や肩書きを手放していく私自身にも必要な土台なのだと思います。
シサム工房がフェアトレードを通して夢見てきた社会も、まさにそのような社会です。
誰かを「安い労働力」として見るのではなく、一人ひとりの暮らしや尊厳が大切にされること。
ものの向こう側にいる人の顔や人生を想像すること。
違いを排除するのではなく、知ろうとし、関係を結び直していくこと。
6月20日、世界難民の日。
まずは知ることから。
そして、自分の中にある不安や物差しにも、少し目を向けてみることから。
誰もが「ただそこにいていい」と思える社会へ。
小さな一歩を、私たちも重ねていきたいと思います。
シサム工房
ヒトミトモコ









